くじらの竜田揚げは、薄く切った鯨の赤身肉にショウガ醤油で下味をつけ、片栗粉をまぶして揚げる料理です。
戦後の学校給食を思い出す料理として全国的に知られていますが、山口県では長門市や下関市の捕鯨史と結び付き、地域の食文化として受け継がれてきました。
節分に鯨を食べる風習や、現在の学校給食を通した継承も、山口県ならではの特徴です。
ここでは、くじらの竜田揚げの味や特徴、長門・下関と鯨の関係、家庭で作る方法を紹介します。
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山口県の郷土料理くじらの竜田揚げとは?
鯨の赤身肉をショウガ醤油に漬けて揚げる料理
くじらの竜田揚げには、主に鯨の赤身肉を使います。
農林水産省が紹介する山口県のレシピでは、赤身肉を5mmほどの厚さに切り、醤油、みりん、砂糖、ショウガの絞り汁を合わせた調味料に漬け込みます。
汁気を切った肉に片栗粉を薄くまぶし、油でからりと揚げるのが基本です。
表面の香ばしい衣と、噛むほどに感じられる赤身肉の味わいが重なります。
甘辛い下味にショウガを加えるため、ご飯のおかずにも取り入れやすい料理です。
長門市や下関市を中心に鯨食文化が残る
山口県内でも、鯨との関わりが特に深いのが長門市と下関市です。
長門市を含む北浦地域には古式捕鯨の歴史があり、下関市は鯨製品の流通や加工、消費を支える町として発展しました。
農林水産省では、山口県ではスーパーでも鯨肉が販売され、家庭料理として食べられていると紹介しています。
下関市や長門市などでは、家庭だけでなく、学校給食や飲食店でも鯨料理に触れる機会があります。
くじらの竜田揚げそのものは全国の学校給食でも知られた料理ですが、山口県では地域の産業史や季節の風習と重なりながら郷土の味になっています。
くじらの竜田揚げが山口県で受け継がれた背景
長門では江戸時代に古式捕鯨が栄えた
長門では、寛文12年(1672年)に現在の仙崎浦の「鯨突き組」が長州藩に取り立てられた記録が残っています。
秋から冬にかけて、出産や子育てのために南下する鯨が北浦の海へやって来たことから、捕鯨が盛んになりました。
農林水産省によると、川尻地域だけでも約200年間に2,800頭余りの鯨を捕獲したとされています。
その後は鯨の減少により捕鯨が衰退し、長門での古式捕鯨は明治43年(1910年)を最後に終わりました。
捕鯨が行われなくなった後も、くじらの竜田揚げやくじらの南蛮煮などの料理は地域に残り、かつての暮らしを伝えています。
下関は捕鯨を支える流通・消費の拠点だった
江戸時代の下関は、長門や萩で捕獲された鯨の肉や油を九州、北陸、関西へ送る流通拠点でした。
自ら鯨を捕るのではなく、鯨組への資金提供や資材の補給を行い、鯨製品を扱う問屋と消費地の役割を担っていました。
明治時代末からは加工・販売の拠点となり、昭和に入ると南氷洋捕鯨の基地や大洋漁業株式会社発足の地として全国に知られるようになります。
つまり、長門では鯨を捕る文化が育ち、下関では捕鯨を支えて鯨を流通・消費する文化が発達しました。
役割は異なりますが、両地域の歴史が山口県の鯨食文化を形づくっています。
戦後の学校給食で全国にも知られた
くじらの竜田揚げは、戦後の学校給食で広く使われた献立です。
醤油やショウガで下味をつけた赤身肉を揚げる調理法は、鯨肉を食べる方法の一つとして全国に広まりました。
そのため、くじらの竜田揚げには「山口県の郷土料理」と「全国で食べられた懐かしい給食メニュー」という二つの側面があります。
山口県では給食の記憶だけでなく、長門と下関の捕鯨史を背景に持つ点が大きな特徴です。
山口県で節分に鯨を食べる理由
大きな鯨に健やかな成長と邪気払いを願う
山口県を含む山陰地方の一部には、節分に鯨を食べる風習があります。
そこには、大きなものを食べて健やかに年を重ねることや、大きな鯨の力で邪気を払うことへの願いが込められています。
節分の鯨料理は竜田揚げだけに限られませんが、家庭や学校給食で食べやすい竜田揚げも、行事食の一つとして親しまれています。
ただし、農林水産省は「節分に食べる習慣がある地域もある」と説明しています。
山口県内のすべての地域や家庭に共通する風習ではなく、地域差や家庭差のある食文化です。
「学校給食・くじら交流の日」で次世代へ伝える
古式捕鯨のまちである長門市と、近代捕鯨のまちである下関市では、毎年節分の時期に「学校給食・くじら交流の日」を実施しています。
この取り組みは平成24年度(2012年度)に始まり、鯨食文化を次の世代へ伝えることを目的としています。
令和7年度は14回目にあたり、2026年2月2日には長門市内のすべての小中学校で鯨肉を使った給食が提供されました。
献立には、くじらの竜田揚げのほか、けんちん汁、きゅうりの酢の物、節分豆、ご飯、牛乳が組み合わされました。
通小学校では、長門市くじら資料館の館長による講話も行われています。
子どもたちは料理を味わうだけでなく、地域に根付く鯨文化も一緒に学びました。
また、下関市の2024年4月号の市報では、くじら給食を年6回ほど行い、竜田揚げのほかに鯨カレー、鯨のケチャップ炒め、くじら飯なども献立に取り入れていると紹介されています。
昔の給食を再現するだけではなく、地域の歴史を学ぶ食育として続けられているのです。
長門に残る鯨墓と供養の文化
鯨への感謝と弔いも受け継がれている
長門市青海島の通地区には、国指定史跡の青海島鯨墓があります。
延宝7年(1679年)、向岸寺の僧侶が観音堂を建てて、捕獲した鯨の供養を始めました。
元禄5年(1692年)には鯨組の人々によって鯨墓が建立され、その背後には明治時代までの200年以上にわたり、鯨の胎児70数体が埋葬されています。
向岸寺には鯨の位牌と過去帳も残されています。
鯨は地域に繁栄をもたらす大切な資源でしたが、単なる食材として扱われていたわけではありません。
命をいただくことへの感謝と弔いの気持ちも、料理とともに受け継がれてきました。
くじらの竜田揚げを知るうえでは、捕鯨の盛衰だけでなく、この供養文化も山口県の鯨との関わりを伝える重要な背景です。
家庭で作るくじらの竜田揚げの作り方
材料(4人分)
- 鯨の赤身肉:250g
- 醤油:大さじ2
- みりん:大さじ1
- 砂糖:小さじ1/2
- ショウガの絞り汁:大さじ1/2
- 片栗粉:適量
- 揚げ油:適量
作り方
1:鯨の赤身肉を5mmほどの厚さに切ります。
2:醤油、みりん、砂糖、ショウガの絞り汁を混ぜ、鯨肉を加えて冷蔵庫で30分ほど漬け込みます。
3:鯨肉を漬け汁から取り出し、表面の汁気をキッチンペーパーなどで丁寧に拭き取ります。
4:鯨肉の両面に片栗粉を薄くまぶします。
5:片栗粉をつけたら時間を置かず、170℃に熱した油で3分ほどを目安に、中心まで火を通してからりと揚げます。
6:油を切って器に盛り付けたら完成です。
固くしすぎず、からりと仕上げるポイント
日本捕鯨協会のレシピでは、鯨の赤身肉を繊維に逆らって5mmほどの厚さに切っています。
繊維を断つ向きに薄く切ることが、食べやすく仕上げるポイントです。
漬け込んだ後の汁気が多く残っていると、片栗粉が水分を吸って衣が重くなりやすいため、表面の水分をよく拭き取ります。
片栗粉をつけてから長く置かず、すぐに揚げることも大切です。
3分という加熱時間は目安のため、肉の厚さや一度に揚げる量に合わせて調整し、中心まで十分に火を通してください。
材料や調味料の配合、肉の切り方には地域や家庭による違いがあります。
まずは農林水産省の基本レシピで作り、好みに合わせて味の濃さを調整するとよいでしょう。
くじらの竜田揚げを作った人のネットの口コミ・感想まとめ
水気と衣の扱いが仕上がりを左右する
冷凍の鯨肉を使ったブログでは、薄切りにした肉の水気をキッチンペーパーでしっかり取り、30分以上漬け込んでいました。
衣をつけたまま置くとべたつきやすいため、片栗粉を一枚ずつまぶしながら揚げたところ、衣はさくさくで中は予想よりやわらかく仕上がったそうです。
別の調理記録では、スーパーで購入した鯨肉に塩を振って少し置き、酒、醤油、みりん、ショウガのたれに約10分漬けてから揚げ焼きにしていました。
生臭さはほとんど感じず、衣のさくさく感が好評だった一方、少し固いと感じた家族もいたと紹介されています。
二つの投稿に共通していたのは、下味をつけることと片栗粉の衣によって、鯨肉を食べやすく仕上げていた点です。
一方で、肉のやわらかさに対する感想は同じではありません。
肉の種類や厚さ、加熱方法も異なるため、公式レシピを参考に薄く切り、加熱時間を調整することが大切です。
参考にしたサイトやブログ
まとめ
くじらの竜田揚げは、鯨の赤身肉をショウガ醤油に漬け、片栗粉をまぶして香ばしく揚げる山口県の郷土料理です。
長門では古式捕鯨が行われ、下関では鯨製品の流通・加工や近代捕鯨が発展するなど、二つの地域が異なる役割で鯨食文化を支えてきました。
山口県内の一部には節分に大きな鯨を食べて邪気を払う風習があり、現在は「学校給食・くじら交流の日」などを通して子どもたちにも伝えられています。
長門に残る鯨墓や供養の記録からは、鯨によって栄えた地域が、命への感謝と弔いも大切にしてきたことが分かります。
料理の味だけでなく、その背景にある長門と下関の歴史まで知ると、くじらの竜田揚げが山口県で受け継がれてきた理由がより見えやすくなります。


